心神喪失と精神鑑定
先日、大阪の寝屋川でまた学校がらみの事件が起こったことは記憶に新しいと思います。容疑者の少年の動機が不明で、供述内容にいくつか不明瞭な点が見られるという理由で、簡易精神鑑定が実施されることになっているそうです。
しかし心神喪失と精神鑑定について、誰が、いつ、何のために行うか、それによってどういうことをするのかについて誤解が散見されますので、今回は精神鑑定と心神喪失について簡単にまとめたいと思います。
精神鑑定にはいくつか種類があります。
日本で最も多い精神鑑定は、取り調べの段階で行われる「起訴前鑑定」です。これに、一回の面接で当たりをつけていく「簡易鑑定」と、2,3ヶ月かけて行う「本鑑定」があります。起訴後に裁判所命令で行うものを「司法鑑定」といっています。これには何年間も繰り返して精神鑑定がされることがあります。
実は、ここに日本の司法制度の問題点の一つが凝縮されています。
簡易精神鑑定は、簡単に行うことができる精神鑑定という意味ではありません。前述のように、起訴前鑑定という性質を持っています。この簡易精神鑑定が行われる理由はなぜでしょうか。
日本の裁判が妙なところは、起訴をされて公判が始まると、ほぼ99%、有罪判決が出ることです。事件そのものの審議もされますが、それよりも犯行の状況や動機によって、刑の軽重を決定していくといえます。逆に言えば、公判維持できない案件は、起訴を断念あるいは猶予することになるわけです。
簡易精神鑑定で、容疑者(この段階では容疑者であって、被告人ではありません)に心神喪失≠ェ認められる可能性があると、起訴自体を見送るということになります。なぜ簡易$ク神鑑定かというと、この目的が「公判維持に関わってくるから」であり、なぜ公判維持に関わってくるかというと、「心神喪失の概念にからんでくるから」ということです(後述)。
・心神喪失って何?
心神喪失という言葉には、いくつか意味があります。
一つは、責任能力を問うことができない状態、要するに「自分が何をやってるのかぜんっぜんわかってない状態」です。こちらはよく引用されるので御存知の方もいるでしょう。刑事事件がらみでよく問題になります。
しかし、もう一つあります。もう一つは、「訴訟能力を欠く状態」です。係争を維持する能力がない場合、つまり裁判を受けてそれに反論したり自分を弁護する能力がない場合、これも心神喪失の状態です。
ですから、前述したなぜ起訴前鑑定が行われるかは、公判維持ができるのか、責任能力を問えるのか、という二つの意味で行われている、ということになります。
ちなみに、これらの能力が弱まっており部分的にしか責任能力を問えない状態が「心神耗弱」です。
・精神鑑定で心神喪失と判定されれば無罪か?
この疑問自体がすでに間違いを含んでいます。もう一度いいますが、心神喪失を判定するのは医師の仕事ではありません。精神鑑定の依頼を受けるのは精神科医です。その結果心神喪失と判断するかどうかは裁判官(起訴前鑑定は検察官)の仕事です。このところを区別する必要があります。
医師は精神鑑定の依頼を受けますが、証拠の一つに過ぎません。精神鑑定で被告人の精神状態について、精神科医がいかなる判断を下そうとも、裁判官が却下することはありえます。「心神喪失」は、医学用語ではなく、法律用語だからです。
そして、現実に心神喪失状態にあるという判断を受けたとすると、罪に問うことがそもそも充当とは考えられません。ようするに、心神喪失だからといって無罪になるのがおかしいという議論は成立しないどころか的をはずしていて、そもそも責任能力がないのに罪に問うこと自体が不当というのが刑法の基本で、心神喪失という状態です。
誤解されると困るのは、心神喪失者はすべからく何らかの精神疾患を負っていますが、精神疾患を負っている人すべてが心神喪失者ではない、むしろ少数であることです。
【問題は何なのか】
問題は、不起訴処分になったり、無罪になった後の心神喪失者の処遇です。
不起訴・あるいは係争中止になると、そこからは「自傷・他害のおそれ」があるということで措置入院になります。ようするに、治療を行います。
措置入院は医療ですから、当然ながら治療をし、最終的な目的は社会復帰になります。だから、症状がなくなれば退院しますし、退院させないことは不適当極まりないといえます。よく、一生精神病院に閉じ込められると思っている方がいますが、そんなことはありません。それって治療放棄ですし、ただの人権侵害ですから。
問題は、裁判が終わったら司法が一切関与しないということです。
司法の手を離れていますので、自傷・他害の「おそれ」とか「他害をした」ことが「過去に」あった人をどうするのかについて、まったく何のフォローもないわけです。法律の管轄も違って、犯罪は刑法、精神科の治療は精神保健福祉法の範疇に入りますが、医療の手も離れ、司法の手も離れ、さて行くべき場所はどこでしょうか?
無罪になった後どうするのかについて、何の法律も制度もない。問題の本質はこれです。司法の監督もなく無罪放免になってしまえば、誰も納得しないのも当たり前の話。困るのは被告であった患者さんで、一番納得できないのは被害者の方です。
このような制度的な問題を、心神喪失の概念ははらんでいます。
今回、私見を述べることがわたしの目的ではありません。情報提供だと思っていただけるといいと思います。この問題は、司法・医療・福祉・政治などが複雑に絡みあった問題というだけでなく、自分自身に起こりうる問題です。専門家がこうすればいいと考えるだけでは明らかに不足で、これから自分の生きていく社会がどうなっていけばいいという問題ではないでしょうか。