学校恐怖症・不登校 school phobia/non school attendance
学校恐怖症の概念は、1941年にジョンソンらによって、怠学とは異なり大きな不安を伴い長期にわたって学校を休む一種の情緒障害として用いられたのが最初である。日本においては1951年に精神医学会で報告が始まり、学校恐怖症と呼ばれるあるいは親子分離不安とみなされた。1960年に、現在の国立鴻之台病院に登校拒否児の教室ができている。それからは、不登校の児童・生徒は90年代の小学生で0.1%、中学生で1%から増加の一途をたどっている。旧文部省のアンケート調査では、日本の子供たちの半数が学校に行きたくないと思っており、さらにその行きたくない子供たちのほとんどが、何らかの神経症症状を持っているという。また、自分のそのような気持ちを親や教師に理解されているとはほとんど思っていない、というように答えている。あらゆる社会階層から、不登校の子供があらわれてくる可能性がある。
学校恐怖症の症状の典型として、登校を拒む、拒む理由を言わないか些細なこと(通常身体症状が多い)、前日には登校するというが次の朝には登校できない、登校しなくてよい状況になると元気になる、休日などは一般的に元気がよい、学校の話題に触れると不機嫌であるがそれ以外は気楽にやっているように見える、などがある。しかし不登校児の示す症状は学校に行かなかった結果出てきた二次的な反応であり、精神病ではない。教育は当然可能であり、むしろ生きる力として教育は当然保証されなければならない。
原因として、本人、家族、学校、社会の要因と様々な要因が複合的に重なって発生すると考えられる。学校恐怖症の子供の性格傾向としては、基本的に真面目、几帳面で完全主義的ないわゆるよい子であることが多い。母親の性格傾向も一般的に強迫的で先取り的に手を出してしまうタイプが多い。一方、父親も強迫的で社会的には真面目な人として通っているが、家庭の問題に関与するのは苦手で、家庭における父親の心理的不在の状態であることがある。小学校高学年頃から不登校を呈する年長タイプは、過保護過干渉な母親のもとでよい子として適応してきた子供が自立や自己決定を迫られて不適応状態に陥り、家庭に退却することで登校拒否が始まる。年少タイプは分離不安による不登校が多いとされる。しかし不登校の増加傾向と共に多様なケースが含まれるようになり、典型例は減少してきている。
治療として、年少者には分離不安を解消するような母子への心理療法的な働きかけが必要である。より年長タイプでは子供の自立を促すような心理療法が必要といわれている。また必要に応じて再登校に備えての受け入れについて、本人、親、学校などとコンサルテーションの場を持つことが必要になる。学校恐怖症の予後は比較的よいといわれ、七割程度はその後社会適応していくといわれている。しかしその最中の病態水準は重篤であり、不登校中の教育が必ずしも保障されていないなどの社会的不利から、予後について一概によいということはできない。