いじめ bullying

 いじめの定義をするときはしばしば喧嘩との相違点から述べられることが多いが、そうすることでいじめの概念の理解が容易になる。近年はいじめの手口の狡猾化、集団化、残忍化がすすみ、またいじめの理由や標的化される理由は大抵瑣末な場合が多い。いじめの対処に関しては、被害者のみならず加害者に対する関わりが大切になる。斎藤(1998)は、「いじめは欠損したパワーの補完として行なわれる」「嫉妬はいじめを発動させる」「いじめは心的外傷を残す」「いじめ・いじめられ関係は家族の中に起源を持つ」と論じているが、いじめっ子は心の中に鬱積した感情を抱いていることが多いからである。また、虐待する親に見られる世代間伝達はいじめにも当てはまることが多く、暴力にさらされて育った子供は自らの筋力が増すにつれて周囲を暴力で支配しようとするようになり、被害者の中にかつての虐げられた自己を見出し、これを圧殺することで弱い自分を排除しようとする。
 いじめのプロセスとして、孤立化の段階、無力化の段階、透明化の段階がある。はじめの孤立化の段階では、ターゲット化が行なわれる。まだ周囲に訴える主体的な力が残っているが、孤立無援感の中で大幅に失って行く。無力化の段階では最も暴力が公然と激しく行なわれ、加害者側のモラル(いじめられる方にも問題がある、いじめられてしかるべきなど)に内面から取り入れて行くようになり、周囲に訴える力をさらに失っていく。そして最後の透明化の段階では、いじめが日常的な風景となり、選択的非注意の段階になる。自殺が起こるのは、大体透明化の段階である。直接的には教育現場においては教師たちがこれらの問題に取り組んでいるが、いじめの根絶論を省みる姿勢に欠けると、悪者探しと監視の強化に終始する危険性がある。