学校臨床心理学→アンナ・フロイト

 日々の仕事

身体的、心理的、性的、ネグレクト、の4つが虐待abuseの中に含まれる主たる分類。
 →長期に受けつづけている虐待(暴力)との対決
  →少年事件(暴力とは切り離せない)
暴力とは何か、というよりも、ケーススタディをしている。

評価レポート(前期一回、後期一回。授業最後のとき)
 レポートと同時に、キーワードとなるような単語を含んでおく(印刷物に含む)。出席は基本的に採らない。

<1>学校臨床心理学の必要性の背景
 いま、学校で何が起こっているのか

奉仕活動の義務化(答申案)
 中学生   二週間
 高校生   一ヶ月間
 18歳の青年 一年間
  ↓
教育改革国民会議の最終報告書の答申
 全体的概念:人間性豊かな日本人を育成する
奉仕活動を全員が行うようにする
 中学生   二週間
 高校生   一ヶ月間
 18歳以降の青年 一定期間=ゥ法律的に、いくらでも拡大解釈が可能である
→義務化はとれたが、内容はもっと重くなった
 →徴兵制に近いものではないのか
  受入態勢の準備(食事、住居など)は誰が行うのか→受け入れを拒否されたら、最終的な受け皿は自衛隊しかない(徴兵制の第一歩である;日弁連)
  例えばキレられたら、受け入れ側はどうなるのか
   ↑
かつての二度の大戦でおこったような、戦争ノイローゼ(戦時ノイローゼ、正式には戦闘神経症)やシェルショック、パニック障害に対応できない(心理的原因)
→旧帝国陸軍病院(現代の国立鴻之台病院)に収容されていた

※いじめをきっかけに、さまざまな症状が表れている人々が、非常に多い。
→奉仕活動などでも、より弱い人にイライラのはけ口が向くことが予想される。
 →実際の企業の労働の現場では、長時間労働によって、身体的な疲労状態、精神的にストレスフルな状況になり、鬱、自殺の原因となっている。
  →青少年が、無償の労働力とされるであろう。

問題のある児童をそのまま放置しない
 問題を起こせば、義務教育であっても出席停止にできる
 登校拒否児を、学級人数として数えない

神経症(いわゆるノイローゼ)
 心因性の葛藤等によって生じるある症状であり、状態像であるため、症状名でも病名でもない。しかし自分を通常ではない状態であると理解しており、それを何とかしたいと考えている。
 これらの発生と固定と象徴との相関の確認をした上で、その他の精神病や心身症、性格障害と鑑別をされなければならない。したがって、神経症は葛藤を処理しきれないことによって起こる誰にでも起こりうる症状であって、いわゆる病気≠ニ理解されない。
 ある事柄を持ってある状態を呈するだけでなく、ある原因が一般化すると、その行動が般化する。その原因が理解される、葛藤に対する態勢が高くなると、症状が解消される場合がある。

戦争神経症 War neurosis
 戦争を契機として、ノイローゼになる。一般の神経症の定義と、まったく同じであり、心因性疾患である。社会文化的背景と、戦場などの特殊な環境から圧迫を受け、また個人がそれにどれだけ耐えられるかによって、発症するか否かは異なる。

 第一次世界大戦にはじめて明らかになった。当初は、単なる敵前逃亡、戦闘放棄と思われていた。発生頻度は、第二次世界大戦中の1938年から1945年までに、鴻之台陸軍病院に入院した精神障害の軍人は1万0454名といわれ、神経症と診断されたのは2205名(全体の21%)であった。しかし、この数よりは実際に多いことが予想される。

 症状の内訳は、ヒステリー症状が半数、神経衰弱が33.5%、心因反応12.1%(心因性葛藤によるさまざまな反応)であった。

 アメリカで精神障害に陥った軍人の数は、100万件を超えているといわれている(精神科医にかかった回数。人数ではない)。
   ↓
奉仕活動は人間性を育てない
 奉仕活動神経症
本来はノイローゼにならないであろう人も、集団の力の中で起こってくるであろう。

→青年期と臨床家としての視点
 価値観、理想、生活のリズムを含め、それをもう一度確かめ、自分のものにしていく過程。その中で、自分を一度徐々に崩して行き、再編成していく時期であり、周囲からも困難と緊張で見られる場合がある。しかし、周囲の大人からの影響を自ら振り払う可能性を持っており、劇的な時代である。
 その中で、集団的強制力の中に入れられることは、発達的に非常な影響があるであろう。また、それに対して反抗する人にとっては、耐えがたい苦痛であり、集団への埋没が青年期において行われてよいのであろうか。法律的に設定することは事実上、監禁状態であり、その中で支配された人々がどうなって行くかは、捕虜収容所や従軍慰安婦が起こしてきたような、PTSDなどが日本の青年の間でも起こるに違いない。
  ↓
仲間集団に対するフラストレーション
 事例:殺人を犯した少年へのかかわり 
・イジメを受けていたが、親は偏差値の話ばかりして、本当に親なのかわからない
・何のために高校進学し、社会的にどういう意味を持っているかを、先生は教えてくれない。
  ↓
空間的に周囲の援助を必要とし、周囲の特に大人はそれを援助する必要が、青年期にはある。
→そのときに奉仕活動≠ノ強制的に従事されると、大きなフラストレーションの状況に陥る。

 症状的にはどうなるのか
PTSD(Post Traumatic Stress Disorder、心的外傷後ストレス障害)
 症状がでることもあるし、でないこともあるが、やられたことに対する記憶を、消すことはできない。そのため、意識の底に抑圧する、自分のことではないように自分から乖離するなどが起こる場合がある。
 多くの場合は、過去のこととして現在を生きるのであるが、ある出来事によってフラッシュバックすることもある。
→教育改革国民会議の答弁が通ったら、その影響は即現れるだけではなく、歴史を忘れたぐらいのときに、あらわれるものである。

 いじめられる側
いじめのプロセスとその傷(プリント参照)

 孤立化
ターゲット化、孤立化。
誰の目にもターゲットが明らかであるが、周囲に訴えたとしてもSOSは無視されることがある。
  ↓
 無力化
孤立化段階では、周囲に訴える主体的な力が残っているが、大幅に失って行く。もっとも暴力が公然と激しく行われ、加害者側の「モラル」に内面から取り入れて行くようになり、したがって周囲に訴える力を失う。
いじめるほうも問題だが、いじめられるほうにも問題があるともされる。しかしそれは周囲から結果論的にそう見えるというだけであって、被害者にはじめから何かの問題があるわけではないということに、十分留意しなければならない。
  ↓
 透明化(自殺が起こるのは、大体透明化の段階)
あたかもないかのように目をそらす、選択的非注意の段階。いじめの風景化。

・何事もなく、自分の中に収めて生活していくタイプ
・過去のことにできず、PTSD状態が外に向かうタイプ

PTSDの症状(プリント参照)
 過覚醒
 侵入
 狭窄

いじめは、被害者がいじめられたと感じたら、いじめとしてすでに成立している。
いじめは犯罪であるという認識ではじめて、被害者と加害者ということが出てくる。
 問い
→なぜ犯罪なのか
→なぜいじめられるようになってしまったのか
→なぜいじめるようになってしまったのか

 記憶の想起
孤立無援ではない自分を実感させる作業
自尊感情の強化と、自分が被害者であると実感

 いじめる側
→どうしていじめが了解されるのか
 孤立化の段階でいじめのターゲットへの、「大義名分」、万能感
 いじめてもよい、いじめてしかるべき
  ↓
 その大義名分は、被害者を巻き込んでいく。

いじめられた人間は、なぜいじめられているのかがわからない。
いままで話さなかったことを話す相手を見つけることによって、孤立無援感から脱し、他者の存在を感じ、いじめられた人はいじめられたことを過去のものにしていく。
ストーリーの再構成−心的外傷の記憶を変えていく
 その中で、自分もまんざらではない、という感情を育てていく

 不登校・登校拒否
定義
 注意すべきこと 
・病態水準としては重篤
・恐怖の対象
・年齢差
・発生の起源
  ↓
子供たち一人一人の、原因も、状況も異なり、一人一人に丁寧に接して行かなければならないという、異質の概念が発生してくる

 病気でも怠けでもないけれども、学校にいけない子供たちである。
 症状は、学校に行かなかった結果出てきた二次的な反応であり、精神病ではない。教育は当然可能であり、むしろ生きる力として教育は当然保証されなければならない。
  ↓
どういう教育が必要なのか
 この子供たちに必要なのは、どの子供でもやっている勉強が必要である(精神科医や文部省は、当初は、美術や音楽、体育が主張していた←情動面の障害という見地)
→しかし、精神医学的に病気でも何でもない子供たちが、普通の教育を受けられないというのはおかしいと主張。教育が可能なだけでなく、教育が保証されなければならない。

 不登校・登校拒否の歴史−怠けや精神病からの分離−

 発見のされ方が、アメリカと日本では異なる。
1932年にボードウィンが、アメリカで怠学の子供たちの調査をした研究が発表される。その中で、学校に行こうとしても行けない子供たちの研究の例が含まれている(←怠けではない)。他、ジョンソンなどの同じような例が報告され始める。イギリスでも、1946年に、恐怖反応を示す子供を報告された。
→学校ではうまくいかないが、家では非常に落ち着いている。
 親との分離不安ではないか。

 日本において、
1951年に、精神医学会で報告が始まる。
     学校恐怖症と呼ばれる、あるいは親子分離不安とみなされる。
1960年から、国立鴻之台病院に登校拒否児の教室ができる(上記)

呼び名
 学校恐怖症
  ↓
 登校拒否
  ↓
 不登校
  ↓
 不登校・登校拒否

日本の子供たちの半数が学校に行きたくないと思っており、さらにその行きたくない子供たちのほとんどが、何らかの神経症症状を持っている。
→また、自分のそのような気持ちを親や教師に理解されているとは、ほとんど思っていない、というように答えている。
 ↓
あらゆる社会階層から、登校拒否の子供があらわれてくる。

ヒステリー
自分の中の葛藤が自分の中で解消できないときに、気を失う、心因性の失明、解離などの諸症状が現れる症状を指す。

子供と教師のストレス
学校過労死――生体リズムを制御する中枢に異常がもたらされることにより、全身の疲労困憊の状態。記銘力の低下、集中力の低下、疲れやすさ、記憶していることの再生の困難になる。その異常反応に対する防御反応としての不登校である。
疲れている=ゥ登校拒否と名づけていいのであろうか?

 教師のストレス
宗像恒次『ストレス解消学』

 教師と生徒の人間関係
 ヒム・ギノット著『先生と生徒の人間関係』
・子どもは何気ない言葉に傷ついている
彼は、生徒の性格判断をして、レッテルを貼り、公の面前でこの生徒を窮地に追い込んでいる。この生徒とこの家族の気に触ることをいい、陰鬱な警告を与え、暗い運命を予告しているのである
子供に対して、性格診断と、予言は避けるべきである。子供とその家族を詮索してはならない。子供の性格診断をすることは危険である。レッテル貼りはとどめをさしてしまうことになる。子供は先生に言われたように行動してしまうことがある。自分が診断を下した人のようになってしまう恐れがあるのだから、決してそれをしてはならない

 横湯の論文から
廊下で生徒に注意をすべきではない。なぜなら廊下は公道だからである。教師は、廊下を様々な人々が行き来する公道であるときちんと認識すべきである。思春期の非常に羞恥心を感じやすく、他人の視線を感じやすい年代に、周囲の面前で恥をかかされることで子供達がどれほど傷ついているかについて認識すべきである。

・「ねばならない」強迫性からの解放
自分では望んでいないにもかかわらず、いつの間にか自分の内なる圧力により、秩序を好み、硬い融通の聞かない状態になっていく。つまり、子供は〜でなければならない、教師は〜でなければならないという理想にとらわれ、完璧主義的になっていくのである。そしていつしか、気づかないうちに管理的になってしまう。

・癒し合う関係
教師と生徒は、人間として対等なのであって、また教師同士でそれぞれの思いを通じ合わせることで、癒し合うという関係性を見ることができるのではないか。

 スクールカウンセラー

教育の専門家の集団である学校教育の現場で、心理の専門家として対等な関係にたって業務を遂行する。教育の専門家としての知識や視点に他領域性が加わえることや、業務を影で援助する。
 コンサルテーションとコーディネーションを果たし、必要であればスーパーバイザーも行っていく。
→スクールカウンセラーとして校内の業務を行うと共に、校外の専門家や校内の他の専門家と連絡をとる。
  ↓いまの日本の経済環境を考えると、
スクールカウンセラーだけでは立ち行かなくなる。スクールソーシャルワーカーの要請がはやい時期にくる可能性がある。

例えばアメリカのスクールカウンセラーは、当初進路指導から出発している。現在はアメリカの学校が抱える様々な問題(犯罪や自殺を含む)に取り組んでいる。スクールカウンセラーの数も非常に多く、問題が発生したら集中的に取り組む態勢をとる。また、日本におけるスクールカウンセラーの業務もアメリカと同じく、暴力を対象とするようになっている。

アメリカにおけるスクールカウンセラーは、生徒、教師、親、学校管理者を援助する「教育の専門家」「心理臨床に関する専門家」「発達に関する専門家」として位置付けられている。日本では、初期のスクールカウンセラーは学校の業務を知らないという苦情がよく聞かれた。スクールカウンセラーについての概念や業務がいまだはっきりしていないといえる。