6月15日

 Laveのtransfer概念批判

 学習論に入ってからの議論の整理→レイブの議論のoverview
学習の認知心理学的アプローチ
→学習=知識の獲得、生成、変化のプロセス
 認知心理学における知識=プロダクション
  命題の形で記述された知識(if thenルールで記述される知識)
(何をすべきかが明示的に表現された記号のかたまりが、脳内に蓄積するあるいは命令文を書き換え生成するプロセスとして学習を見る)

 文化間の移動と状況の間を移動する学習の関係=転移transferという概念で捉える。
 一つの状況で獲得された知識を、別の質的に異なる状況で使う。
→context Aで得た知識knowledge1
 →context Bでは使えない(応用がきかない)。うまく使えるknowledge′を作って、広いcontextで使える一般性を持った知識を形成して使う必要がある

 なるべく多くの文脈で使える、適切な抽象度を持った知識の生成を目指すのが学習研究の課題
→その場だけで使える知識の生成だけでは、知的とは言えない。
 適応的な人の知識の例.エキスパートの研究 たんなる技能的実践化ではなく、適応的実践化
 →様々な状況で使える知識の生成(←プロダクションで明示的なルールが作られている)
  →類推による学習(前々回ぐらい)によって作られる。
   ↑認知心理学のアプローチ
 それまで異文化で学んでいたことに、いかに適切な類推を働かせて、今の状況でも有能になれるような知識を働かせるか
 →論点:柔軟で多角性を持った知識の生成をするか
・このレベルの知識を生成するテクニカルな問題
・知識とは、どのように表現されるのかというテクニカルな問題

 ↑ J.Brunerの認知主義批判

・転移以前の基本的な問題への批判
→やるべきことがあらかじめ、命題として欠かれている知識を脳内に持っている(記号によってプログラムされている)という、認知心理学の考え方に疑問を投げかけた。

  そもそも、知識はその様に記述できるのか
  かかれている知識とは、どのようなものか
  その様な表現でいいのか
  知的であるという状況はこのような捉え方(適切な知識を持っているという状況)として捉えていいのか

→こんなアプローチで知識表現をしても、人工知能では使えない
 工学的な問題
 フォーカスが、物理などの限られた領域

 フォーマルな場面での知識の生成を問題にしすぎて、子供の学習のような、日常的な問題を扱っていない。立てられた問題が現実とかけ離れている。
 認知心理学では、もっと根源的な根拠としての命題としての知識を表現し、知的であることを命題知識を持っていることと考える。
←このことに問題があると指摘。S-Rでは、一定以上複雑な人間の行動を、原理的に説明できない。
 →対応説(ハロルド・ダーウィンケ、エスノメソドロジー)への批判(前回参照)
※対応説……知覚が最初にあって、行為が後で起る
 Environment → Perception → Actionが適応的におこる
※適応……行為を発生させる、一連の知識群がエレガントであると考える←これをBrunerは批判している

→環境を取り込んで、記号と変換する際、どうして外界の事物を事物として認識できるのかの説明がない。
 外界の事物の切れ目とか、どこから発生してきたかの説明ができず、文化相対的な問題が扱えない(立場や文化によって同じものが別の見方で現れてくることを説明できない)
 →正解は一つしかなければならない(一つの文化的正義が存在しなければならない)
  ↑しかし、世界を相対的なものとしてみるという、事実的な傾向が強い。対象(世界)をいかなるものとしてみるかは、様々に変化しているのに、今見ている世界が正しいとするのは、一種の抑圧や差別につながる。

  状況的認知アプローチ

 Environment ← Perception ← Action
 行為に基づいて、世界がある形で意味付けられて現れてくる以前に、環境が安定的に現れると考えるべきではない。世界がいかなるものであるかの知識を持っていないのだから、正解のない世界で、行為している人間を見ない限りは、現実世界を捉えるアプローチにはならない。確固たる自然の構造よりも、その生成するプロセスを説明しなければならない。
 認知科学は、正解にとらわれ、日常のリアルな理論にはなっていない。
 E→P→Aは、根源的に間違っていると主張
→しかし、行動によって外界を知覚し、安定的に環境を捉えているとするのなら、人間がある一定のレベルで外界を捉えていることの説明ができない。多くの人が、一定レベルの同じ行動をとる理由は何か
 →文化

文化……人々をある一定の同じレベルで振る舞わせるメカニズム。
 すでに存在している人たちの中に、学習者は新たに参入してくる(結果的に同じアクションが出てくる)。環境は人々との共同的な関係(=学習者と人々の関係)から生まれるから、人々の関係性を分析(文化への参加=共同主観性の構築の学習)。

・環境は、その人たちにとってリアルなものとして意味付けられているもの
→意味の根拠としての文化
・コミュニケーションを認知の中核的問題として重視(同じように振る舞うプロセスは、人々とのインターラクションで生まれるから)
・文化への参加としての学習という発想
 ↓では移動は?
前提として、文脈と切り離された知識は存在しない→結局、transfer概念がよく分からなくなる
 ↓
J.Laveへ

 J.Laveの正統的周辺参加論Legitimate Peripheral Participation, LPP

 状況的認知アプローチのLPP
→1980年代以降現れた学習の問題
 E→P→Aの構造でとらわれていた中で、生態学的記憶研究が明らかにした、古典的認知アプローチの問題(人々は行為することで現実的な意識が現れてくる問題)から、古典的認知アプローチを批判
 ※最も古くから主張していたのはソヴィエト心理学(マルクスが背景)、または文化人類学
 →もともと自分のやっていた文化人類学から、LPPを提唱
・社会学(ブルデュー)
・ギブソニアン……ある種の環境に対しての、相対的な関わり方はあるが、種としての一貫した世界への関わりがある。種と環境の固有の関係性はリアルであ(知覚装置と環境のマッチング)

※社会科学的アプローチの違いとLPPの位置づけ

・社会的分散認知Social Distributed Cognition
 人々の関係性をどう捉えるか――まとまりで一つの認知的課題を達成する、一つの問題解決集団。
インターラクションの中でどのように問題解決されているか。
 エド・ハッチンス――軍艦での新兵の訓練
→社会的システムとして、強固な計算装置として作動。

・スキャフォールディング
社会的分散認知では、具体的にどういう指示を与えているのか。
 学習者が自分で問題解決できるように支える働き。
→それでは、現場の理解がどう作られてくるのか(前の二つは、結果としてうまく行っているだけで、重要なのはその人が世界をどのように見るか)
 →エスノメソドロジー(社会的現実感)
 会話の仕組みがリアリティを作る。
EX.東大生へのステレオタイプの例……例外が出てきてもくずれない

 

 次回:J.Laveの議論と問題点