10月12日

 先週

・ヴィゴツキーの基本概念について
 記号による媒介……自分とは異なるものとの距離をどう定位していくのか
 精神間から精神内へ
・参加論としてのヴィゴツキー

 J.Wertschのアプローチ……ヴィゴツキーの読解を踏まえて展開している研究者の中の一方のリーダー。
 アメリカで始めてヴィゴツキーを紹介。80年代(ヴィゴツキーブーム)からのトップ。
 『Voice of mind』(邦題、『心の声』)
 コミュニケーション、言語の分析に力点。
 LDのアダムの分析などのアプローチ

※二代巨頭のもう一人は、M.Call(『文化と思考』ルリヤの弟子)。
 両者の違い――参加論として読む点は同じ。Callは、レオンチェフ、レイヴを踏まえて、ソビエト心理学の中でのヴィゴツキー理解。活動理論active theoryに終始。実際の現場の社会構造の分析(LCHL研究所)。活動理論学会(エングストロームやコール)。

 ヴィゴツキーは、早くに亡くなったので、至らない部分がたくさんある
→二者関係の閉鎖性を批判
EX.何かができる大人 できない大人
          ↑ヴィゴツキーはここを見るだけで、リアルではない。
   子供に対して、放任文化と構う文化の人では、同じタスクでもコミュニケーションのスタイルは違う。
→文化とか社会とか生活環境とか、より広いコンテクストにも目を向けて分析しなければならない(ヴィゴツキーには欠如)。ヴィゴツキーは、学校を重視し、親子関係の教授的文脈を見て、狭いコンテクストで分析している。
 →現代の文化相対主義的な視点から見れば、明らかにおかしい。
  →なぜヴィゴツキーはやらなかったか
   →やる前に死んだから(『思考と言語』の第6章の可能性)

「ヴィゴツキーは、精神内機能に関心を持ち続けていたことは明らかであるが、6章では、彼はそれが制度的な状況的活動の中で、どのように出現するかに、場という観点から、概念発達にアプローチした。特に彼は、正規の学校教育の社会制度に見られる談話形態が、概念発達が生じる基本的枠組みをどのように与えるかに関心があった」
※学校教育……均質で、それなりの知識を持った労働力を生産する方法。学校知の見方でヴィゴツキーも批判しようとしていた?
 ※学校知……特殊な形態が表した知の形態。社会の中でのコンテクストでは無意味な教示の仕方でも、問題を解いてしまう。

 道具箱メタファー

  ヴィゴツキーの三角形

 

      ↑多様な媒介があるのに、見ていない。Xだけでなく、U,W,Y,Zのダイナムズムを見ていない。
→・多様性をどう記述するか。
 ・社会と媒介の関係は?
 ・個人と媒介をどう捉えるか。

ミハイル・バフチン(ヴィゴツキーと同世代で、ソヴィエトでは冷遇された文学の理論家)を援用した展開
 ドフトエフスキーの研究など。多声性(マルチボイス)
 人物の声が、芸術的に抽象化されて決して他者と一致しない。
cf.トルストイ……作者のメッセージ的。普通のコミュニケーションモデル。

 他者と知識を共有したり、同じものの見方をできないから対話dialogをする必然性がある(決して一人の人間と他者は、物理的にも原理的にも一致しない)

・声voice              メッセージ
特定の個人が特定の誰かに    ある種の普遍性を持つもの
特定の状況で発するもの

・対話dialog                コミュニケーション
両者が一致することは、時空間的に     両者の一致を目指す
あり得ない。他者の言葉に対して開
かれている→対話が終わらない

・他者の言葉/腹話術
自分のしゃべる言葉は、自分だけの声ではあり得ない(比喩的に腹話術)。対話は極めて社会的で、先に生きている人との関係性の中でのみ声が生まれてくる。完全に独立したオリジナリティはあり得ない
→ではどこで自分が出てくるか(言語特権主義的ではないか)
 →自分なりのアクセントをつけていく

・社会的言語/言葉のジャンル
国別、方言のような言語集団ではなく、あるコンテクスト(教育現場、日常会話など)の中で使われる、場と結びついた多様なジャンルの言葉がある。引用し、引用しあっている言語の世界。
  ↓
 異種混淆性
言語を一つの文法として捉えず、立体性を持ち、多様な言語が一つの世界で同時展開していると捉える(内言的世界も含む)。はじめから異なっているというよりも、常に異なり続けているコミュニケーション
→だから会話が終わらずに続いていく。

 媒介の社会言語学

Wertschによるヴィゴツキーの拡張
・媒介の多様性への注目
・バフチン理論による概念化
・様々な場における社会的言語、言葉のジャンルの構成、対立、葛藤の技術
・場の成員としての行為者の技術
・言語的多様性を持つ場への参加と同じ(個別性が出てこず、基本的には参加論)

次回:ワーチの分析の具体例と問題点