11月30日

 前回までの議論

1章冒頭
 考えることと話すこと……(世界にある種の構造性を持ってとらえること。ゲシュタルト的)と(意味を持つ以前に音声を発すること)
  ↓
この出会い方が、人間の意識を考える上で重要。
→単語の意味に注目し、これが解けないとそれ以上の問題は解けない。
  ↓
問題となっている意識や意味の最小単位は単語の意味であって、それ以上分解すると、意味や意識としてとらえることができない。
→マルクスとの論理的相同性
 一個の単位から始めて、そこから展開していく手法が特徴的。
cf 心理学
 基本的要素をいくつか用意する(短期記憶、長期記憶など)
→記憶は、それらの要素の絡まりあいであると定義
 →部分の性質は何か

ヴィゴツキー(あるいはナイサー)
 記憶が記憶として成り立つには最低限何が必要なのか
 心の問題を、複数の要素の関係としてとらえず、複数の活動の関係としてとらえることが重要であって、考えることと話すことの関係性の問題が人間の心理学的問題の核である意識や意味の問題に直接的に結びつく。

単位――思想(意識されている内容)の言葉(個々の語の間の関係)に対する関係について
→単語レベルの話が解明できないと、先に進めない。
 →分析単位の問題

単語が意味を持っている状態とは、一種のクラス分けである。つまり、一つは世界を一つのまとまりとしてとらえること(思考活動)、それと同時にそれを音声で言語的に区切る(言語活動)は、一致している状態の最低限の状態が単語であり、人間は言語が関わって初めて人間的な意識が作り出されてくる。

 丸山圭三郎「ソシュールを読む」

ランガージュ(話すこと)が思考に対してもつ特有の役割というものは、その音的、物質的手段となることではなく、思考と音の仲介的場を創ることであって、その結果未分節の思考と音は否応なしに個別の単位を形成する。

→言葉とは、思考にラベルを貼ることではない。思考と音の仲介的場を形成することであって、その結果身分離の思考と音は否応無しに個別の単位を形成する。
 →動物としての人間……他の動物と同じように、もともとの能力で世界をまとまりで見る。
  →言語が付け加わった。
   ↓
もともと持っていた能力と、言語が世界に対して二重にかぶるようになった。しかもその二つの構造は一致しておらず、必然性があるわけではない(自然界に区別が存在するのではなく、音で分けることを人間が決めたから、例えばイヌをイヌと呼ぶようになった。言語の恣意性)

・見分ける……連続性を持って現れてくる世界をもともと持っている能力で分けていく。
・言い分ける……世界のもう一つのきりわけ方で、人工的で恣意的な分け方。
→これらの間に、必然的ではないが、密接な結びつきがある。
  ↓
言語が入ってくることによって、見分ける能力だけが存立し得なくなり、言語がなければ世界を分けられなくなった(カオス的状態)
  ↓
ランガージュによって単位に分離される個々の単語の文節の原理で再構成されることによって、明確になってくる。
  ↓
言語と思考がであったところで、新しい人間的な構造が生まれてくる。

 ソシュールの波のメタファー
波というのは、水と空気の層の関係の結果見えてくるものであって、波自体が実質を形成しているわけではない。
→二つの動きの境界線に生まれた(水と空気の関係の間に生まれた)、ある形を波とよんでいる。
 →意味づいた言葉の世界に実質があるのではなく、波のように二つが出会ってそこにある形が生まれてくる。
  ↓それと同様に、
思考と音が結びついたときに、意味のある言葉が生まれてくる。二つの組み合わせが一つの形相(フォルム)を生み出す。
  ↓また、
波自体、実質はなくてもある構造を持っていて、フォルムであるから分析ができる。
→見るのは水と空気の関係性であって、そのために単位を切り出してくる。
 →ヴィゴツキーは考えることと話すことの関係性を見ようとして、単語の連なりの波として、それは起ると考えた。
  →単語のユニットを切り出して来て、関係性を見る。

注意点――語の意味を単位にするからといって、それを実体ととらえてはならない。

 1章で、語の意味を単位としてとらえることを宣言
 2〜4章までは、高次の意識を、考えることと話すことの関係性ととらえてもよいということを、従来の研究を批判したり引用したりしながら論証。
  ↓
「思考と言語」では、関係性の結びあいがどのように複雑になっているかを焦点にしている。
・実際の子供がどのように複雑にしているのか
  →別の本でおこなっている
・複雑な波が記述できるような分析の道具立て作り
  →「思考と言語」の仕事

 William Forsytheのダンス理論
身体のパーツを幾何学図形で表現
 要素的なものの関係として姿勢を作り、動きを幾何学図形を変形して表現する。
→一人の人間の身体が記述するための道具になっている。
 →身体の動きが一貫性を持ったダンスとして読めるようになる。
  ↓
他者の身体と接触可能性が生まれる。

波と同様に、フォルムとしてダンスを幾何学図形を使って表現して、表現のバリエーションを多く作った。
→フォルムのシステムを複雑化して共有
 →即興的でありながら様式的
  ↓
言語のように、生成的でありながらランダムではなく、法則性があるシステム

身体をフォルムで定義
  ↓
定義を共有
  ↓
定義を使って他者と関わる(社会性に対して開かれている)
  ↓
複雑になればなるほど、接触可能性も増える。

 参加論
社会システムの中で個人が定義され、その人がある形で変化していく。
→外側の社会がその人を決める規定因で、社会的コミュニケーションで決まってくる。
  ↓
 フォーサイス
その人自身が自分の身体をどう作るか、しか決まっていない。
→自分の身体を作ると、他者との接触可能性が生まれてくる。
 →個的であればあるほど、新しい他者との関係性が生まれてくる。
  →ヴィゴツキーが問題にしたような、社会で共有されている言語

 5章
単語の意味はネットワーク的な構造を持っている。また、他の語との関係でしか、一個の語の意味は決まってこない。

 6章
そのネットワークが、他のネットワークと関係して重層的になる。
→生活概念と科学的概念

 7章
フォルムが生まれる前に、フォルムを生み出すような行為がある。
→実体としてネットワークやフォルムがあるのではなく、話すという行為によって構造が生まれてくる。
 →どうして動くのかという話は問わないで終わっているが、動機に関わっている。

 

次回:他者の不器用さ