意思あるところ道あり

 

 何かの映画で、もとFBI捜査官が言ってたセリフだったんですが、その当時、進路や自分が何をやりたいかに考えあぐねて、わりと苦しい時期でした。そういう状況にいたせいか、この言葉、なんだか無性に響きましてねー。思わず唸ってしまいました。

 そうやって、どうしてこう考えるようになったか、というのを洞察してみて、受け入れることができたことも、何をしたいかを見据えることができた、大きな原因です。後は、現実に目標というかプランというか、どうしたら実現できるかということが少しだけ見えてきたこと、つまり現実的なフィードバックがあったことが、安定につながりました。

 ちなみに、「意志」よりも「意思」かな、と思います。理由は特にないのですが、しいて言うなら、「意志」の方がよりソフトで、目的指向性が薄いところでしょうか。「意志」というと、なんだか強固すぎて、ほっといてもがんがん進んでしまうことができそうです。

 わたしはそういうタイプの人ではなくて、ちょっとおっとりしたタイプというか、ぽーっとしているというか、決断を迫られたりする状況では、脅迫されているように感じて萎縮してしまうタイプなのですよ。しかしそういう考えやタイプは、標準的に社会的コンテクストの中では、そんなの甘えだと評されるでしょうね。みんなそうなんだと。

 そのことを否定しようとは思いませんし、むしろそれができれば適応的に、しかもある程度の成功を修められるでしょう。しかしですね、常識だからといって、誰もができるわけではないのです。いつもいつも、ベストを尽せるとは限りません。結果が出るとは限りません。人間は平等などではあり得ず、そしてわたしは、そういう「力のない」人ですから、「意志」という強力なニュアンスを持ち、それを貫き通すことができないのです。そのことは、まああまり認めたくはないのですが。わたしはまあ、そんな人間なのですよ。

 ですから、後先のことを考えるより、自分のことを考えろって言いますけど、わたしには自分だけにしがみつき通すことなんて、怖くてとても出来ません。自分の背中を押してくれる何かとか、いまの自分をサポートしてくれる何かとか、将来の目標の勝算とか、そういったものが欲しいし、必要なんです。

 いつものわたしを知っている、例えば学校の人は、えーっ、と思ってしまうかもしれませんね。でも、いつもきっちりものを考える側面を持つわたしは、慎重にものを考えて対処を考えているだけなのですよ。ついロジックで追い立ててしまうのも、怖がっていると考えれば分かるでしょ?

 

 こんなところでしょうか。書くことはいいことですね。わたしの性に合っているようです。いつも考えないことでも、じっくり考えることができました。ああ、俺はこんなことを考えてたんだ、とか思うと、我ながら新鮮です。わたしも知らなかった自分の一面を垣間見ることができました。

 こんな調子でいこうと思います。なんだか私小説っぽいですけど、あまり聞き苦しくないように、推敲を加えていきたいものです。